瘦せ姫が生きづらさを共感し、
助け合える場所はどこなのか?
摂食障害になった女性たちとの30年余りの交流の軌跡が話題の書に!
「瘦せることがすべて」。そんな生き方をする女性たちがいます。
いわゆる摂食障害により、医学的に見て瘦せすぎている女性のことですが、そんな彼女たちを「瘦せ姫」と呼ばせてもらっています。
彼女たちはある意味、病人であって病人ではないのかもしれません。
というのも、人によってはその状態に満足していたりしますし、あるいは、かつてそうだったことに郷愁を抱く女性や、むしろこれからそうなりたいと願う女性もいるからです。
そんな瘦せ姫たちが生きづらさを共感し合い、助け合える場所はどこなのか?
話題の書『瘦せ姫 生きづらさの果てに』の著者・エフ=宝泉薫氏が、瘦せ姫たちの症状格差と治療意欲格差について語ります。
症状格差と治療意欲格差
同病相憐れむ、ということから思い出すサイトがあります。
「なじぇ?なじぇ?摂食障害」という、かつて存在した交流サイトです。
そこでは、瘦せ姫同士による心の助け合いとでもいうものが比較的スムーズに行なわれていました。世代や地域、職業といった立場を超え、つらさに共感したり、症状を軽減させるためのアドバイスをしたり。いわば、リアルの日常世界では孤立しがちな人々にとっての避難場所としてよく機能していたわけです。
もちろん、こうした避難場所は今も「ミクシィ」や「2ちゃんねる」あるいはダイエット関連サイトなどのコミュニティや掲示板で見つけられます。ただ最近は、ツイッターやフェイスブックのような個人で発信する形態のものが盛んになってきたため、そこにさえ行けば同じようにつらい仲間がいて安心できたりする、という具体的な場所は減ってきている気がします。
そのぶん、自分で仲間を見つけて個々につながること(ツイッターでの相互フォローによるダイレクトメッセージのやりとりなど)で安心を得ようとする、というやり方なら可能なわけですが……。
いずれにせよ、こういった心の助け合いについては「両刃(もろは)の剣」だとする声もあります。安心が得られる一方で、傷のなめあいのようになってしまい、かえって回復の妨げにもなるというのです。
さらにいえば、むしろ悪化につながるという声も。摂食障害の根底に瘦せ願望というものがあるため、自分より細い人と接してもっと瘦せたくなったり、あるいは過食に苦しむ人が嘔吐や下剤といった排出の方法を学習したり、ということがまま起こるからです。
また、世の中にはつねに「格差」というものが存在します。摂食障害についていえば、まず「症状格差」です。それは大ざっぱにいうと、こんな図式で表せるでしょう。
制限型>排出型>非排出型
もちろんあくまで「大ざっぱに」ですが、より禁欲的なほうが、また、より瘦せているほうが羨(うらや)ましがられるように感じます。